2016年8月1日月曜日

萩原保夫さん逝く

    8月1日(月) 萩原保夫さん逝く


 昨日が通夜で今日は告別式でした。愛川の共産党の2つの星であった諏訪部明さんと萩原保夫さん。党創立と同じ年でしたが、諏訪部さんは2年前に、萩原さんは94歳で28日に亡くなりました。
 娘さんが萩原さんの生き様を語ってくれました。海軍に志願して米軍の弾で頭を7針縫うことになり、敗戦に衝撃を受け、苦悩と葛藤の日々。昭和21年に日本共産党に入党。貧困解決、地域住民のために寝食を忘れて活動、町会議員や町長選挙に何度の挑戦し、48歳で町会議員に当選。それから5期20年の議員活動、その後の農業員の活動と常に地域住民のために、命を張って取り組んできました。
 周囲にはアカと言われ差別され、苦しんだ保夫さんと家族たち。その苦しみは今の時代と違っていかばかりか、想像するのですが、大変な生き方でした。世間的には時代に逆らわずに生きた方が楽ですが、あえて苦難の道を歩んできました。当時の愛川の共産党は町会議員3議席を目指すもかなえられませんでした。時代は変わり、昨年の10月の町会選挙で3議席を獲得。この時の喜びを歌に詠んでくださいました。祝勝会に次の二つの歌を届けてくださいました。




・住民と共に闘い乗り越えつ今ぞ輝く三つの議席


・山あいの町にのろしをあげしより遂に成したる三つの議席